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作家ファイル2 粟井弘二「見えるものが変わってきた」 

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●ある日、画材一式を送られて。

 岡山市津島京町の粟井内科医院で理事長を務める粟井弘二さん。医院と自宅の入ったビルの特徴的な外装は、なんと自ら絵筆を取って色調を考えたもので、窓の桟組みも黄金分割に基づいているのだとか。光風会展に出品した『牛窓遠望』シリーズ( 1990 ~ 92 年)をはじめ、風景画を描き続けている、粟井さんらしい景観美へのこだわりだ。

 およそ 35 年前に遡る、絵画との出合いもユニークだ。とある絵画同好会に誘われて顔を出したところ、リーダー格の先生に「自分でも描いてみたら」と薦められたのだ。

「その翌日には道具一式が請求書付きで送られて、しかも、『描き方は、入門書の類がたくさんあるから、それで勉強しなさい』とのお言葉でした(笑)」

●アメリカ北部で見た幸福の光景。

 こうして自己流で小品をいくつか描いたあと、「何か目標をもって描かないと進歩もない」と初挑戦した県展で、見事、入選を果たす。このとき 30 号に描いたのは、クリスマス・シーズンに見た、夕暮れどきのデトロイト郊外の住宅地。昭和 30 年代に米国公衆衛生局の招聘でアメリカに滞在した際に、心に刻み込まれた風景だった。

「外壁や庭、それから道路に面した庭のモミの木などにも、それぞれの家が工夫を凝らした飾りつけをしていて、雪化粧を色とりどりの光が照らしていました。そして、窓からは温かい団らんの明かり。北欧の慣習を受け継いで町じゅうがクリスマス一色に彩られた様子は、当時の私には、子どもの頃に絵本でしか見たことがない、幻想的な世界でした」

医院開業からまだ数年の多忙な日々のなか、当時撮影した写真を見ながら夜遅くまでこつこつと描いたうちの1作は、いま粟井内科の 1 室に飾られている。

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●研究会で見ること、学ぶこと。

 粟井さんは「描くことは見ること。そして見えるものを変えてくれること」と強く語る。「外を歩いていても眼に入るものが変わりました。木立の枝葉の色合いや山肌の、季節による移り変わり……。思わず見とれて、描きたいという衝動を感じることばかりです」

描く時間を捻出できないときもある。それでも研究会には時間の許す限り出席する。

「研究会で見る力を養っておけば、人に訴えうる絵が描けるのではないかと思いまして」と粟井さん。もちろん、表現力の「研鑽の場」としての意義もかみしめている。

「ほかの会員の方たちの作品を、初期段階から完成までの経過を通じて拝見できますし、先生方のお言葉や、ときにはパステルをとっての具体的なご指導まで拝聴できる。書物からなどでは決して得られない、貴重な教えをいただけています」

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 現在、粟井さんは、もう一つのライフワークともいえる、粟井姓にまつわる調査も手がけている。県内はもちろん、全国の粟井姓の分布や、出身地、由来を調査した記録は、膨大な歴史研究資料となりそうだ。「末永く継承される記録の一つになれば幸いです」と語る謙虚な物腰に、見て、学び、表現する喜びを深く味わっている姿を垣間見たような気がする。

(この記事は旧サイトより転載したものです)
構成・文/中原順子(フリーライター)



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