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作家ファイル10 関野智子「惜しみなく、惜しげなく指導していただいた」

*この記事から、岡山光風会若手グループ「グループ8」のウェブサイトからの転載となります。

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作品に白を多用していた時期があります。

きっかけは、「呉越同舟」というグループ展の第1回展。
毎回一つ決めた展覧会テーマに合わせて、
ジャンルも作風も違うメンバーが新作を発表するんですが、
その最初が『白の展覧会』だったんです。
それで、「白ってなんだろう」と一生懸命考えることになりました。

最終的に当時の私が出した白の解釈は、
「存在と無の際」というものでした。
何もない状態であり、同時にすべてを含有するものでもある「白」。
その解釈と、福島(隆壽)先生が以前おっしゃっていた
「強いコントラストで目を引くことは誰にでもできるんだ。
弱いコントラストでありながらパチッときめていく、すると高級な絵になる」
という言葉がつながったんです。

こうして白を基調にした、
あるかないかのギリギリのコントラストの作品を
目指すようになったんです。

ただ数年続けているうちに問題が出てきました。

白を使って「攻めて」いたはずなのに、
だんだん白に「逃げる」ようになってきたんです。
自分でも「白い病にかかってる」と思っていたくらい(笑)。
白以外の色を使うことが恐くさえなってきていたんです。

好きな抽象画家にマーレビッチという作家がいるんですが、
彼は『白の上の白』という作品で、
白く塗った正方形のキャンバスに、傾いた白の正方形を描いています。
究極の白ですよね。
やがて彼は抽象画を捨てています。
そりゃ、そうでしょう、そこまで行ったら、もう描けませんよ(笑)。
そして私自身も、このままだとヤバイなあ、と思うようになってきました。


続きは「グループ8」ウェブサイト:https://groupeight.exblog.jp/8012341/へ。

構成/中原順子



作家ファイル9 深井 貞子 「平面を自ら構成する という術を学びました」

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●「 10 年同じものを描き続けなさい」

 北政所ゆかりの陣屋町、足守で、代々醤油造りを続けた商家、藤田家。深井貞子さんが『醤油蔵』シリーズ作成のモチーフにしているのが、この旧足守商家藤田千年治邸の醤油工場だ。
職人たちが受け継いできた熟練の技や、子どものように手をかけてじっくり「育て」られた醤油を、受け止め、支えてきた木の道具たち。そこにあるだけで、さまざまな歴史や物語を伝えてくれるような、重みのある道具たちと、深井さんは向かい合ってきた。

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 このシリーズをはじめて、今年で9年め。
福島先生の「同じものを 10 年は書き続けなさい」という教えを守ってきた。7年めの秋に日展初入選、そして8年めの昨年は第 35 回岡山光風会展で「岡山光風会賞」(旧「 H 氏賞」)を受賞。
誰にも描けない、深井さんだけの『醤油蔵』が確立されつつある。

「遊びでここを訪れたとき、
いい雰囲気だなあとは確かに思っていたのですが、
ここまで追究することになるとは思ってもみませんでした。
趣きのある建物だけれど、
こういうものは、もう誰でも描いているなあ、
と思っていたくらいで」
と深井さん。

そんな先入観を解放してくれたのは、
光風会常務理事、寺坂公雄先生のアドバイスだったという。

「蔵のなかには、いろんなものがあるだろう。
そんなものでも、絵は構成できるんだよ」

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●床にへばりつくようにして見た木桶の姿

見たままを描くのではなく、いかに平面を絵として構成するか。
深井さんの試行錯誤が始まった。
たくさんの醤油樽や桶から、どれを選び、
どのようにキャンバスのなかに配置するか、
どの視点からそれらを見つめるか。
漆喰の壁をどれほど見せるのか。
威風堂々とした梁は、どう配置すれば
他のモチーフと良い相乗効果をもつだろうか。

「結果として、床にへばりつくようにした姿勢で
見る構図になりました。
立っていては、梁は、ああいうふうには見えないんです」

道具類の間にのぞく、隙間の大きさ、
壁の白と飴色の古道具とのコントラスト。
もっとも視覚的に美しい平面づくりのための計算が、
このシリーズのなかには随所に隠されている。

「そして絵を見てくださる方に、
そんな計算が臭うようではいけない。
伝えたいのは、むしろ埃や黴の臭い、
この国に確かにかつてはあった、
古き良き職人たちの技の面影ですから。
難しいところです」

●自分をなくさないために描く

06 年3月に、自宅のアトリエを改装した。
いわゆるバリアフリー化である。
左足の人工骨置換という大手術、リハビリを乗り越え、
深井さんは精力的に描き続けている。

「絵をはじめたのは、夫、義理の両親と、
立て続けに亡くなったのがきっかけでした。
いちばん小さい子がまだ小学校4年生のとき。
当時は洋裁の仕事をしていました。
仕事と3人の子の母親業で押しつぶされそうな毎日で、
このままだと自分がなくなってしまう、という危機感があったのです」

女学校時代、放課後も残って描いていたほど好きだった絵のことを思い出したとき、確実に深井さんの人生は変わったのだ。

岡山支部顧問である久山章先生との出会いがあり、
それが光風会との出会いにつながり、
9年前からは福島先生のカルチャー教室にも通っている。

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「美しいものに触れる喜びが、絵を描くことを通じて、
どんどん広がっているように思います」

と深井さん。

アトリエでは、弟さん作の大きな壷に、丹誠した庭の花々を生ける。そして、それを絵筆で再現する。
自然への愛情や感動は、
月に1回通っている短歌の会でも詠われる。
表現することは、深井さんの毎日に、
ごく当たり前に溶け込んでいる。

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(構成・文/中原順子) 08・05・01



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